この問題の考え方は次の通りです。まず虚空と三界六根の概念・相貌を明らかにし、虚空が三界の法に属するかどうかを判断すれば、如実に正しい結論が得られます。虚空の意味は空・空間であり、主に空大種子によって構成されています。空大種子で構成された虚空は空間とも呼ばれ、物質色法を容れ支える特徴があり、実際の作用を持ち、物質色法を容れ支えます。四大中の空大種子で構成されている以上、虚空は色法であり、相(すがた)があり、空相です。虚空は色法であり、色辺色に属し、眼識によって見られるものであり、眼識によって見られる色法には必ず相があります。瑜伽師地論にも説かれています。
ただし色辺色の相と色法の相は異なります。目を開けて見れば、眼前が空であるか否かが分かります。空という色法は眼識によって見られ、空でない色法も眼識によって見られます。空には空の相があり、空でない物質色法には空でない相があります。もし空に相がなければ、眼識はどうして空か否かを識別できましょうか。
三界の定義は法有り、空でなく、色法と心法、及び非色非心法を含みます。心法と色法は二つの境界で、互いに包含しませんが、色法は心中の色法であり、色法は心外の法ではありません。虚空もまた心中の法であり、心外に存在しません。虚空もまた法有り、空でないため、虚空は三界の法に属します。三界に属さない法はただ一つ:真如自性です。虚空が色法であり、作用を持ち、物質色法を支える以上、虚空は当然三界の中にあり、三界外には存在しません。三界外には虚空は存在しません。七識の心法は虚空中にありませんが、三界内の法です。第八識真如は三界内の法でも三界外の法でもありません。三界外には法が存在せず、涅槃の阿羅漢は色法と七識心法を滅尽し、虚空中に住することはありません。虚空中に住するものは全て色法であり、また三界内に属します。
虚空は空間としての空であり、亀の毛・兎の角は全く存在しない無と非存在の空であって、虚空の空ではありません。従って亀の毛・兎の角は三界内か外かを論じる対象になりません。虚空には際限がなく、十方世界は皆虚空中にあります。三界には際限があり、有と無(存在と非存在)が三界の境界です。三界は苦であり、苦の辺際に至り、色法と七識心法を滅尽したものが無余涅槃であり、これが三界の境界です。涅槃と不涅槃こそが境界の限界となります。
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