衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年02月02日    火曜日     第1 回の開示 合計3054回の開示

世間における真の厭離と仮の厭離の区別

世間法に対する厭離には、表面的な意識の厭離と深層の意根の厭離があります。表面的な厭離は単に世間が退屈で無意味だと意識が感じるだけで、口先だけの言葉に過ぎず、言うことと行いが一致せず、本気で行動に移すことはありません。貪りは元のまま変わらず、何も変化をもたらさない偽りの厭離です。しかし心に真実の厭離心が生じた時、直ちに行動に現れます。もはや世間の人事を避けるための方策を考えず、事を増やすより事を減らすことを選び、世間への執着を断ち切ります。これが深層の意根から生じた厭離心であり、解脱へと繋がる心です。この境地に至る実践は容易ではなく、多生にわたる修行の善根によるもので、浅学の者にこのような心行は絶対に現れません。

深層の意根の厭離に至るには、まず禅定を修める必要があります。禅定の中で五蘊の苦・空・無常・無我を観じ、無常苦空無我を初歩的に証得した後も、まだ世間への厭離心は生じません。さらに観行を深め、初禅定を発起して貪愛の煩悩を断除して初めて、世間への厭離心が生じます。もはや世間で生死を流浪し光陰を虚しく過ごすことを望まず、解脱への心、出離の心が現れます。故に出离心も厭離心も深層の禅定と智慧なくしてあり得ず、禅定を修めなければ口先だけの厭離となり、実際には貪愛深く、少しも厭わず、心と口が一致しない状態に陥ります。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

父子合集経講話(一〇九)

次の記事 次の記事

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

ページのトップへ戻る