衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月28日    木曜日     第1 回の開示 合計3038回の開示

四聖諦の観行の内容と結果

我見を断つとは、この「我」が意根の俱生我見と意識の分別我見を指すのであり、如来蔵の我見を断除することではない。如来蔵には我見がなく、断除する必要がない。意識と意根に五蘊十八界というこの部分の法の苦・空・無常を観行させて初めて、意根と意識が五蘊十八界が我と我所でないことを確認できるのであり、如来蔵に五蘊十八界が我と我所でないことを確認させるのではない。無我とは如来蔵の我の存在を否定するのではなく、五蘊十八界の実在を否定することである。 

まさに五蘊十八界が世俗界において不変の実在法でないがゆえに、意識と意根に五蘊十八界が無我であることを確認させ、もはや五蘊十八界を我と我所と認めないようにさせるのである。観行の結果は意識と意根に如来蔵が無我であること、あるいは如来蔵の我が存在することを確認させるものでもなく、また如来蔵自身に無我であることを確認させるものでもない。観行前に如来蔵の我の存在を認めることはできるが、観行の結果は如来蔵に帰着させてはならない。なぜなら観行の対象は五蘊十八界であって如来蔵ではなく、観行内容を混同すれば結果も混乱し、結局我見を如実に断つことができなくなるからである。

——生如法師の開示
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