(十五)原文:復次、縁起において。云何が数往の義か。生じて已に住せざるを義とす。云何が和合の義か。諸縁の聚集を義とす。云何が起の義か。諸縁の和合する所の引摂により、新たに生起するを義とす。云何が縁起か。云何が縁生か。諸行の生起する法性を、これ縁起と名づく。即ち彼の生じ已りたるを、縁生と説く。
釈:縁起法において、数次の往復の義とは何か。縁起法が生起した後、留まらず変化を続け、生滅を止めず、滅した後も再び生じ、無明が滅するまで縁起法が反復して生滅変異することを指す。十二支分において無明支分を除く他の支分は皆これに該当する。和合の義とは何か。和合とは法が生起するに必要な諸縁が聚集し、因縁が具足すれば法が生起することをいう。十二支分において識以降の十支分はこれに該当し、行支に必要な縁は比較的少ないため、行支は他の支分より断じ難い。
起の義とは何か。起とは全ての縁が和合した後、引き起こされ摂受される新たに生じる法、無から有となる法を指す。縁起とは何か。縁生とは何か。縁起とは一切の法が運行した後に法を生起させる性質、法を起こす本性をいい、法が生起した時それを縁生と呼ぶ。縁は増上縁と所縁縁となり得る。
原文:問う。幾つの支が苦諦に摂せられ、現法において苦となるか。答える。二つ。生及び老死なり。問う。幾つの支が苦諦に摂せられ、未来に苦となるか。答える。識より受に至る種子性なり。問う。幾つの支が集諦に摂せられるか。答える。残りの支なり。
釈:問:十二支分の中で苦諦に摂せられ、現在の状態において苦となる支分は幾つか。答:二支、生支と老死支。問:苦諦に摂せられ未来の苦を感ずる支分は幾つか。答:識・名色・六入・触・受の五支の種子性であり、後世に種子が成熟して法が現行すれば苦が生じる。問:集諦に摂せられる支分は幾つか。答:残りの無明・行・愛・取・有の五支が集諦に摂せられる。
原文:問う。無明と行は、俱有縁となるか、無間滅縁となるか、久遠滅縁となるか。答える。三縁を具えて作すと知るべし。無知により、諸行に随順する法中において、俱有の覆障縁となり、彼彼の事を為して諸行を発起する。また悪見放逸と俱に行う無知を以て、無間滅生起縁となり、諸行を発起する。また無知を以て、久遠滅の引發縁となり、彼に順ずる当生相続を建立す。
釈:問:無明と行の二支は、後の法が生じる俱有縁となるか、法の無間滅縁となるか、遠い未来の滅縁となるか。無明と行は因縁法が生じる三種の縁となる。無知の故に、一切の法が運行する過程において俱有縁として覆障の作用をなし、種々の事業を発起し運行させる。また無明の悪見が放逸を伴い、無知が行と共にあることで、法が間断なく滅しては生じる縁となり、一切の法の運行を引き起こす。更に無知が久遠の滅を引發する縁となり、無明に順ずることによって現世において法が相続不断となる。
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