(十三)原文:問う。随眠が断たれず、それらの法に順ずるが故に、取は全て生じ得る。何故ここでは、ただ愛を以て取の縁と説くのか。答えて曰く、希望によって生ずるが故に、追求する時に、随眠を発起し、またそれに随順する法を引き寄せる能きが故なり。
釈:問う。煩悩が断除されていないため、希求する一切の法に対して執着の心が生じれば、それらの法は生起する。何故ここではただ愛が取を生じる因縁であると説くのか。答える。内心が諸法の生起を希望するが故に、諸法を追求する際に煩悩を引き起こし、また煩悩心を引き寄せて諸法に随順させ、取が生じる。故に取の生起する因縁は随順であり、愛であって、随眠煩悩ではない。
随眠の意味は、煩悩が断除されていない時、常に阿頼耶識に随伴し、阿頼耶識に潜伏している、あるいは阿頼耶識に眠蔵していることを指す。因縁が成熟すれば煩悩が顕現する。しかし煩悩はまた意根に随伴し、意根と共にあり、因縁が成熟すれば意根が煩悩を顕現させ、煩悩に随順する。これにより業行が生起する。貪愛も煩悩の一種であり、貪愛があるが故に執着の心行が生じる。瞋恚のような煩悩は離反する性質を持ち、随順でも執着でもない。故に愛縁取と説き、煩悩縁取とは説かない。
原文:問う。既に前に無明を縁として業有が発起すると説いた。何故今ここで取を縁として有を説くのか。答えて曰く、取の力によって、即ちその業を彼彼の生処において識・名色等の果を引き寄せる能きが故なり。問う。生もまた精血等を縁とする。何故ここではただ有を縁として生を説くのか。答えて曰く、有が存在するが故に、必ず他の縁が欠けることなく具足する。また有が殊勝なるが故に、ただそれを以て縁と説く。
釈:問う。以前に無明を因縁として業果の三有が生起すると説いたのに、何故今は取を因縁として三有が生じると説くのか。答える。取の因縁力によって、造作された業果が各々の界地に生起し、その後六識や名色等の業果を引き起こすからである。故に取縁有と説く。
問う。生命体は父の精・母の血等を縁として生じる。何故ここではただ三有を縁として生命体の生起を説くのか。答える。三有が存在するが故に、必ず他の縁が生起の因縁条件を満たす。故に有縁生と説く。また三有が最も殊勝なるが故に、ただ有を以て生の縁と説く。
原文:問う。遠行や不避不平等、他者の逼迫等を縁として老死は生じ得る。何故ここではただ生を縁として老死を説くのか。答えて曰く、それらの諸縁によっても、必ず生を根本とするが故なり。仮にそれらの縁が欠けても、ただ生を縁とすれば、必ず老死が存在するが故なり。
釈:問う。老死の現象は遠く行く際に外力の不平等な因緣を避けられず、その逼迫を受けて生じるものである。何故ここではただ生を因縁として老死が生じると説くのか。答える。多くの因縁が老死を引き起こすが、老死は必ず生を根本的因縁とする。たとえ他の因縁がなくとも、生じた以上は必ず老死が存在する。生がなければ、いかなる因縁があっても老死は生じない。故に生を以て老死の縁と説く。
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