衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月26日    火曜日     第1 回の開示 合計3032回の開示

分別心を離れることは死人に等しいのか

まず、分別心を離れることは死人を意味するわけではありません。この分別心とは意識心を指すため、意識心を離れる状況には様々な形態が存在します。最も一般的な例は睡眠時で、この時分別心は消失しますが、人は死に至りません。ただし意識による分別を離れれば、多くの日常行為が不可能となり、日常生活を営めなくなるため、事態を停滞させる結果を招きます。この状態は死人と大差なく、覆障が甚だ深刻です。

日常的に繰り返される動作は、意識心による分析や思考を経ずとも迅速に遂行可能です。例えば歩行時にどちらの足を出すか考えずに移動したり、食事時に自然に口を開ける行為などが挙げられます。しかし意識がなければ、こうした慣れ親しんだ行為さえ実行不可能です。よって神通力を有さない者にとって、意識の機能は極めて重要です。表面上は分別していないように見えても、了別性は常に作用を続けており、これによって衆生は様々な身口意の行為を生じさせ、生存を維持しているのです。

——生如法師の開示
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