衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年01月15日    金曜日     第3 回の開示 合計3003回の開示

父子合集経講義(九五)

果報はどのように現れるのでしょうか。

阿頼耶識如来蔵は衆生の主人であり、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識が造る身口意の業行は一種の助縁です。因縁が和合すると、来世の眼・耳・鼻・舌・身・意の六識が生じ、次の果報が始まります。初めて識が生じた後、直ちに自らが地獄に生まれ、天上に生まれ、畜生に生まれ、鬼界に生まれ、阿修羅界に生まれたことを知ります。例えば人間に転生すべき者は、再び最初の識が生じると感受が現れ、人間の果報が眼前に現れます。識がない時には受ける者もなく、苦楽の感受を知覚せず、真の果報を得ていないのです。母胎にいる人間は四、五ヶ月以前には識心がなく、苦受や楽受を感じません。厳密に言えばその時は真に受報しているとは言えず、受報していないと言いながらも実際には受報していると言えます。その色身こそが果報身であるからです。ただ心がなく、苦楽の感受を知らないだけです。

同じ色身における識心は絶えず流転し作用しています。一期の生命において、眼識などの六識は同じ色身において絶え間なく作用し続け、これを同分心品と呼びます。最後に識が滅すると、色身は木のようになり、これを死蘊と呼びます。最初に識が生じることを生蘊と名付け、六識を識蘊と呼びます。

——生如法師の開示
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