果報はどのように現れるのでしょうか。
阿頼耶識如来蔵が衆生の主人であり、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識が造作する身口意の業行は助縁となります。因縁が和合すると、次の世の眼耳鼻舌身意の六識が生じ、次の世の果報が始まります。最初の識が生じた後、すぐに自分が地獄に生まれたこと、天上界に生まれたこと、畜生道に生まれたこと、餓鬼界に生まれたこと、阿修羅界に生まれたことを知ります。例えば人間に転生すべき場合、再び最初の識が生じると感受が現れ、人間の果報が眼前に現れます。識が存在しない時には受ける者もなく、苦楽の感受もなく、真の果報を得ていない状態です。母胎内で四、五ヶ月以前は識心がなく、苦受も楽受も感じられないため、厳密には真の受報とは言えません。受報でないと言いながらも実際には受報であると言えるのは、その色身自体が果報身であるためですが、心が存在せず苦楽を感知できない状態です。
同一の色身における識心は絶えず流転し作用し続けます。一期の生命において、眼識などの六識は同一の色身において絶えず作用しており、これを同分心品と呼びます。最終的に識が滅すると色身は木のようになり、死蘊と呼ばれます。最初に識が生じることを生蘊と呼び、六識を識蘊と呼びます。
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