問:なぜ昔の祖師大徳たちは法を説く際、一般に経典を引用しなかったのでしょうか?
答:昔の祖師大徳はみな、真の修行と修証、真の徳行を備えた真に開悟した菩薩でした。したがって法を説く際には、自分自身の智慧と見地だけを説き、深く求めて解することもなく、隠覆することもなく、如実に説き、如理に論じたのです。たまに経典を引用するとしても、一つには因縁が熟しておらず信根と智慧の不足している者のため、二つには法義が深いときに仏経を補助的な説明として用いるためでした。
別の側面から言えば、昔の学人は善根が比較的深厚で、福德・禅定・智慧のいずれも優れており、信根が足り、択法眼を備えていたので、祖師の開示に対して正しい抉択力と信受力を持っていました。それゆえ祖師菩薩たちは法を説く際、安心して自分の智慧の証量の知るところを説くことができ、後顧の憂いがなかったのです。今日の衆生は善根が軽少で、福德・禅定・智慧のいずれも欠けており、信根が足りず、択法眼を欠いているため、多くの人が勧めを聞かず騙されやすいものを聞きます。それゆえ法を説く際には、経典を多く引用して信を起こさせる必要があるのです。また別の側面として、もし説法者の修行の期間が短く、真実の智慧の証量がなく、法義がまだ通達していないならば、経典を引用せざるを得ません。たとえ経典を引用したとしても、一つには衆生が如実に理解できず、二つには説法者自身も経典を貫通していないため、やはり誤解と誤会を免れることができません。これは衆生の業力の感応であり、業が重く福が薄いので、修行の道は曲折し、進んでは退ち、いつ了期となるのか分からないのです。
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