衆生は無始劫より苦海に漂い、すでに慣れきっており、真の楽を享受したことがなく、対比がないため感覚も覚りもありません。衆生は愚かであればあるほど苦しみを知らず、自らの愚かさにも気づかず、往々にして苦を楽と心得ております。苦を知ることは修道者の覚りであり、修道者の覚りのほとんどは仏陀の教えによってもたらされます。一旦苦を知れば滅を慕い修道に励み、いずれ苦集を断じ尽くし、生死を解脱し、解脱を得るに至ります。愚痴は全ての煩悩中最も重く、愚痴の者は最も化導し難く、一切の教理が入らず、一切の言葉が通じず、一切の勧めも無益で、一切の方便手段も用をなさず、あたかも塩も薬味も染み込まぬ一枚の岩石の如し。愚痴故に他の煩悩も少なく、妄想も少なく、念いも少なく、出離を知りません。人の中でこのような者が禅定を修めるならば、速やかに欲界定に入るかもしれませんが、雑念がなくなれば更に深い禅定は得られず、これは愚痴の煩悩が重く上界と相応じないためです。
10
+1