証果の条件
識心の自性は一切の法を離れ、一切の法なく、空であり自性なきことを自性離と申す。我々はかくの如く身識を了知すべきであり、身識の空を了知し、かくの如く自らの業行及び業行の空を了知し、色身に初めて生起する識及び識の空を了知すべきである。眼耳鼻舌身意の六識は、生起前に処所なく、滅した後も去る所なし、故に空なり。もし識心を滅せしめるとも、滅したこの法もまた空なり、誰が滅すのか。識心を滅せしめる造作の主たる者なし。識心自らが滅すのであり、これを滅す者なし。
世出世間に空ならざるもの一つもなし、如来蔵を除いて。頭から尾まで、内から外まで、三界の世間法をことごとく空じ尽くせば、四果を証し、三悪道に永遠に赴かぬのみならず、三界をも出離す。自らの様々なる心行、様々なる心、貪心・瞋恚心・愚痴心・慢心、一切法を了知する心を、ことごとく空じ尽くせば、無余涅槃に入ることを得ん。色身の空を証得することは容易なり、これが仮の空幻と知り、識心の様々なる知覚・感受・思惟・打算・了別を否定し、識心の空幻を証得することは稍々困難なり。利根の者には証果容易なり、これらの条件を円満せしめ、証果の条件を備えれば、修行はさほど難きにあらず。
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