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日常開示

2021年01月10日    日曜日     第1 回の開示 合計2984回の開示

瑜伽師地論 巻第九(十二因縁)

(五)原文:四大種とは何か。地・水・火・風の界をいう。これらは二界(欲界・色界)に通じる。四大種によって造られた色とは何か。十の色処、及び法処に属する色をいう。欲界には十種全てと法処に属する仮の色が具わり、色界には八種と法処に属する色がある。ただし全てに通じるわけではない。これも二種あり、識種子に摂受された種子としての名色、及びそれから生じた果報としての名色を指す。

釈:四大種とは何か。地水火風の界がそれであり、欲界と色界に通じる。この二界には色法が存在するが、無色界には色法がないため、四大種は無色界に通じない。四大種が和合して造る色法とは、十種の色法及び法処所摂色を指す。欲界には十色処(色・声・香・味・触・眼根・耳根・鼻根・舌根・身根)と法処所摂の仮法が具わり、色界には八色処(色・声・触・眼根・耳根・鼻根・舌根・身根)と法処所摂色が存在する。

ただし四大種は全ての法に通じるわけではなく、識種子によってのみ摂受される。第一に、識種子に摂受された種子位の名色(未だ現行せず、中有の段階にあるもの)。第二に、識種子から生じた果報体としての名色。四大種と識種子は共に阿頼耶識中の種子であり、平等の関係で五蘊名色を構成する。有形の色は四大種によって形成され、無形の名は識種子によって形成される。

原文:眼処とは何か。眼識が依り所とする清浄な色をいう。これによって過去に色を見、現在に見、未来に見る。眼処がこのようであるように、乃至意処に至るまで、相応する所に従って全て了知すべきである。一切の処において、三時の業用差別を説くべきである。これも二種あり、名色種子に摂受された種子としての六処、及びそれから生じた果報としての六処を指す。前五処は欲色界に存在し、第六処は三界に通じる。

釈:眼処とは、眼識が生起・活動する際に依り所とする清浄な勝義眼根を指す。この清浄な眼根によって過去の色を見、現在の色を見、未来の色を見ることができる。眼処がこのようであるように、耳処・鼻処・舌処・身処、さらには意処も同様である。意識は意根を依り所として過去・現在・未来の法を認識し、至る所で了知作用をなす。六識が各々の対象に至るのは、全て意根の選択による。意根が選択した後に六識が生起し、その後で認識作用が起こる。

眼処・耳処・鼻処・舌処・身処・意処の全ての処には、過去・現在・未来の三時の業用差別が存在する。業用には二種あり、第一に名色種子に摂受された六処の種子(名色が種子位にあって未だ現行せず、六処も種子位にある状態)、第二に名色から生じた果報体としての六処である。前五処は欲界と色界に存在し、第六処(意処)は三界に通じる。

——生如法師の開示
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