分段生死とは、生命が区切りごとに分かれたものであり、その期間の長短は定まっておりません。八地の菩薩まではこのような状態です。畜生道の寿命を観察すれば、人間界における数時間から数千年・数万年まで、餓鬼道衆生の寿命、地獄衆生の寿命、人間の寿命、諸天の天人寿命、阿修羅の寿命、そして各段階の菩薩の寿命、いずれもその長短にかかわらず最終的には必ず死を迎えます。永遠に不滅の存在ではございません。寿命に定めがあるということは、すなわち区切りがあるということであり、これを分段生死と申します。
分段生死の次に来るものが変易生死でございます。八地の菩薩から等覚菩薩・妙覚菩薩に至るまで変易生死を有し、その寿命は無限に長く続くように見えても、極めて微細な無明が残存している故に最終的には滅びます。無明は生滅変易を招き、生命を不堅固ならしめます。分段生死にある衆生の無明は最も重く、生死と苦悩もまた最も甚だしいものでございます。ちょうど人間に念いがあれば呼吸があり、脈動があり、風の動きが生じ、風災を招くようなもので、念いがなければ風動も呼吸も心臓の鼓動もなく、あらゆる災いから遠ざかるのでございます。無明が滅尽すれば如何なる生死も存在せず、この時こそ仏と成るのでございます。
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