衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年01月02日    土曜日     第2 回の開示 合計2959回の開示

中阿含大縁経

(四)原文:阿難よ。このように、心解脱した比丘は、如来が死後に存在するかと問わない。もし彼がその言葉に執着するならば、彼は正しからず。如来が死後に非存在かと問わない。もし彼がその言葉に執着するならば、彼は正しからず。如来が死後に亦有亦無かと問わない。もし彼がその言葉に執着するならば、彼は正しからず。如来が死後に非有非無かと問わない。もし彼がその言葉に執着するならば、彼は正しからず。これは如何なる因縁によるか。阿難よ。比丘はこの範囲によって、増語道と言語道と施設道と智慧界を証知し、流転輪廻より解脱する。かくの如く解脱を証知した比丘に対し、知らず見えざる輩がこの見解に執着するならば、それは正しからず。 

釈:阿難よ、このとおりである。心解脱した比丘は如来に問うことはない――阿羅漢が死後に何らかの法が存在するかと。もし比丘が「存在する」という言葉に執着するならば、彼は正位に入っておらず、阿羅漢ではない。心解脱した比丘は如来に問うことはない――阿羅漢が死後に全く無になるかと。もし比丘が阿羅漢の死後は無になると執着するならば、彼は解脱を得ず、阿羅漢の正位に入っていない。心解脱した比丘は如来に問うことはない――阿羅漢が死後に亦有亦無かと。もし彼が阿羅漢の死後は亦有亦無だと執着するならば、阿羅漢の正位に入らず、完全な解脱を得ていない。心解脱した比丘は如来に問うことはない――阿羅漢が死後に非有非無かと。もし彼がなお阿羅漢の死後は非有非無だと執着するならば、阿羅漢の正位に入らず、完全に解脱していない。

既に四果の正位に入った阿羅漢は、心解脱し、一切が解脱し、執着が滅尽する。心中に再び如何なる法にも執着せず、自己の死後の有無や非有非無に執着することなく、一切の念想執着が滅尽して初めて完全に解脱する。命終して無余涅槃に入る時、心中に法への執着があれば三界の有を断尽せず、無余涅槃に入ることはない。

——生如法師の開示
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