如何にして身空と心空を証得するか
身口意の行為が最初に造作される時、それは刹那的に滅謝します。例えば私が刀で人を斬る場合、刀を取った後には刀を取る行為が消滅します。次に手を伸ばす行為が終われば、その行為も消滅します。さらに刀を相手の身体に突き刺す行為が終われば、それも消滅します。刀を抜き、捨てるか洗う行為も同様に消滅します。殺人という一連の行為は、後続の動作が生じる度に前の動作が消滅します。全ての行為が消滅した後、実際に殺人行為は消滅したのでしょうか。もし消滅しないならば永遠に殺し続けることになりますが、それは不可能です。あらゆる行為には必ず終わりがあります。行為そのものは造作されれば即時に滅するため、生滅性であり得られないものですが、種子は消滅せず、刹那毎に如来蔵に収蔵され、将来の縁熟による報いを待つのです。
行為の造作は刹那的に滅謝し、極めて迅速です。一刹那に八万一千の種子が生滅を繰り返すことで、殺人行為全体が形成されます。従って殺人行為は全て生滅性ですが、この全体の行為が業種として自らの如来蔵に収蔵されます。一瞬の指弾の間に八万一千の種子が生滅し、無数の生滅現象がこの一瞬を形成します。故に指弾という法は虚妄です。殺人という法も、無量の指弾の時間が連続し、無量の指弾的行為によって構成されるため、虚妄・生滅・無我性を具えます。このように観行を進めれば小乗の身空を証得できます。
同様に識心の種子が刹那生滅することを観行すれば、無数の刹那生滅が識心の連続的造作行為を構成していることが分かります。識心は生滅・虚妄・無我であるため、心空を証得できます。身空と心空が揃えば五陰空・無我が現前し、小乗の初果を証得します。
我見を断つ観行と並行して、殺人という一連の行為が如何に造作されるかを観察します。一指弾の行為を観行し、一瞬の間に何故八万一千の種子が生じるのか、如来蔵が如何に業行を記録するかを探究します。禅定に優れた者はこの観行により急速に証悟します。導きがあれば数分で証悟可能ですが、導きがなければ万劫を要します。証果は因縁が熟せば一刹那ですが、熟さなければ百千万劫も迷い続けます。
業行は刹那的に滅謝しますが、東西南北四維上下中間の何処にも依住しません。例えば手を挙げて下ろす時、挙手の業行が消滅する先を観察すれば、特定の場所に存在しないことが分かります。もし存在する場所があれば、その場所には常に挙手行為が存在することになり、殺人業行が何処かに留まるならば大変なことになります。
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