(三)原文:その時、菩薩は順逆に十二因縁を観じ、如実に知り、如実に見きわめられると、即座に阿耨多羅三藐三菩提を成就された。仏はこの時に偈を説かれた。「この言葉は衆中で説く。汝らは善く聞くべし。過去の菩薩の観行は、本より未だ聞かざる法なり。老死は何の縁より起こるか。いかなる因によって存在するか」。かくの如く正観し終えて、その本が生より起こることを知りき。「生の本は何の縁より起こるか。いかなる事によって存在するか」。かくの如く思惟し終えて、生が有より起こることを知りき。彼の取を取ること已に、展転して更に有を増す。これ故に如来は説きたまう「取はこれ因縁有り」と。
釈:この時、太子である菩薩は順逆に十二因縁を観行し、如実に十二因縁の法を証知されると、如実の正見正智が生起され、十二因縁の法を如実に証見された後、法座の上で阿耨多羅三藐三菩提を成就された。仏はこの時に偈を説かれた:「われが大衆の中で説くこの法を、汝らは善く聞くべきである。過去の菩薩の観行は、これまで聞いたことのない法である。老死はどのような因縁から生じるのか、何によって存在するのか。このように正観した後、老死が本来生より現れることを知ったのである。生は本来どのような因縁から現れるのか、どのような理由によって存在するのか。このように思惟した後、生が三界の有から生じることを証得したのである。諸法を取着した後、展転して有を更に堅固にする。この故に如来は『取は三界の有の因縁である』と説かれたのである」。
原文:多くの穢れた悪しきものが集まり、風が吹いて悪しきものが流れ広がるが如し。かくの如く取相の因は、愛によって広く普く及ぶ。愛は受より生じ、苦の羅網を起こす根本となる。染着の因縁によって、苦楽が共に相応する。受の本は何の縁より起こるか。いかなる因によって受があるか。かくの如く思惟し終えて、受が触より生ずることを知りき。触の本は何の縁より起こるか。いかなる因によって触があるか。かくの如く思惟し終えて、触が六入より生ずることを知りき。六入の本は何の縁より起こるか。いかなる因によって六入があるか。かくの如く思惟し終えて、六入が名色より生ずることを知りき。名色の本は何の縁より起こるか。いかなる因によって名色があるか。かくの如く思惟し終えて、名色が識より生ずることを知りき。識の本は何の縁より起こるか。いかなる因によって識があるか。かくの如く思惟し終えて、識が行より生ずることを知りき。行の本は何の縁より起こるか。いかなる因によって行があるか。かくの如く思惟し終えて、行が痴より生ずることを知りき。
釈:多くの汚穢なものが集まり、風が吹けば悪しきものが流れ広がるように、諸法の相を取着する因縁もまたこのように貪愛によって広く流布する。貪愛は受の因縁によって生じ、受は苦悩の羅網を生起させる根本である。諸法に染着する因縁によって、苦楽の受が染汚と相応して生じる。受は本来どのような因縁から生じるのか、どのような因縁によって受があるのか、菩薩はこの因縁を思惟し、受が触の因縁から生じることを証知されたのである。触は本来どのような因縁から生じるのか、どのような因縁によって触があるのか、このように思惟した後、触が六入の因縁から生じることを証知された。
六入は本来どのような因縁から生じるのか、どのような因縁によって六入があるのか、このように思惟した後、六入が名色の因縁から生じることを証知された。名色は本来どのような因縁から生じるのか、どのような理由によって名色があるのか、このように思惟した後、名色が六識の因縁から生じることを証得された。六識は本来どのような因縁から生じるのか、どのような理由によって六識があるのか、このように思惟した後、六識が行の因縁から生じることを証知された。行は本来どのような因縁から生じるのか、どのような因縁によって行があるのか、このように思惟した後、行が愚痴の因縁から生じることを証知されたのである。
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