原文:吾从世尊。闻如是语。苾刍当知。我以佛眼。遍观世间。诸有业果。皆缘心意。一类有情。心意所使。行如是行。履如是道。身坏命终。如舍重担。堕诸恶趣。生地狱中。所以者何。彼诸有情。心意染污。由此为因。身坏命终。堕诸恶趣。生地狱中。
解釈:私は世尊からこのような説法を聞きました。比丘たちよ、知るべきです。私は仏眼をもって世間を遍く観察しましたが、すべての業果はいずれも心意に縁じて生じたものです。ある種の有情衆生は心意に駆り立てられ、このような行を行じ、このような道を歩み、身壊命終の時、重き担を捨てるがごとくに、諸々の悪趣に堕し、地獄の中に生じます。なぜそうなるのか。それらの有情は心意が染污しているからです。これを因として、身壊命終の時、諸々の悪趣に堕し、地獄の中に生じるのです。
上文で言う心意とは第七識である意根を指します。意根が染污しているために、起心して造る業はいずれも染污業となり、染污業のために命終して地獄・三悪道に堕ちるのです。衆生は意根に駆り立てられて業行を造作するものであり、意根は身口意行の動力であり主宰です。意根が清浄ならば一切が清浄であり、意根が染污すれば一切が染污します。それゆえ、意根は一切の無明を具足し、一切の煩悩を具足しています。修行の最終的にはすべて意根の上に落とし込まれてこそ、染污を剔除し、清浄 (viśuddha/pariśuddha) を獲得できるのです。さらに言えば、いかなる法を証し、いかなる三昧 (samādhi) を得たとしても、それは必ず意根の証でなければなりません。意根が証しなければ、染污は永遠に染污のままであり、永遠に清浄 (viśuddha/pariśuddha) に変わることはできません。
原文:吾从世尊。闻如是语。苾刍当知。我以佛眼。遍观世间。诸有业果。皆缘心意。一类有情。心意所使。行如是行。履如是道。身坏命终。如捐重担。升诸善趣。生于天中。所以者何。彼诸有情。心意清净。由此为因。身坏命终。升诸善趣。生天界中。
解釈:私は世尊からこのような説法を聞きました。比丘たちよ、知るべきです。私は仏眼をもって世間を遍く観察しましたが、すべての業果はいずれも心意に縁じて生じたものです。ある種の有情衆生は心意に駆り立てられ、このような事を行い、このような道を歩み、身壊命終の時、重き担を捨て去るがごとくに、諸々の善道に昇り、天上に生じます。なぜそうなるのか。それらの有情衆生は心意が清浄 (viśuddha/pariśuddha) だからです。清浄 (viśuddha/pariśuddha) な心意を因として、命終の時に諸々の善道に昇り、天上に生じるのです。
ここで言う心意はやはり意根を指します。意根は作主識であり、諸法の主人です。いかに諸法を造作するかは、意根が主宰し駆動します。意根が清浄 (viśuddha/pariśuddha) であれば、造作される業行も清浄 (viśuddha/pariśuddha) となり、清浄 (viśuddha/pariśuddha) な業行によって、清浄 (viśuddha/pariśuddha) な福報を受けることになります。それゆえ、意根もまた一切の清浄 (viśuddha/pariśuddha) な善法を具足することができ、この清浄 (viśuddha/pariśuddha) な善法によって仏道を成就するのです。したがって、意根は一切の心所法を具足することができ、善悪の心所法はいずれも具足しており、悪心所法はことごとく断し尽くすことができ、善心所法はことごとく生起させることができます。意根が悪ければ一切が悪く、意根が善ければ一切が善いのです。修行は最終的に意根ここに落とし込まれなければならず、さもなければ道半ばで廃れ、前功尽棄となり、善法は成就し得ないのです。
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