もし仏法を学んで愚か者の如く、己の私利私欲を顧みない境地に至れば、無我を成就したと言えましょう。我の存在を知らず、人に欺かれ罵られ辱められ貶されても、他人の言葉に心動かされず、いささかも計算立てることなく、あたかも己に関わりのないことの如く接するならば、無我の大果を得るに至るのです。人が恐れるのは極めて聡明で、少しも愚かでなく、種々計算し、利に趨き害を避け、私利私欲に走ること。我執ある者は皆愚かでなく、全てを計算し、少しも損をせず、結果として因果の理に計算され、生死輪廻の損を食らうのです。六道に身を置くことは甚だ損多く、何ら殊勝な果実も得られず、どうして損をせずにいられましょうか。
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