(四)原文:十二因縁もまた身の十事を滅断する者。外は身に従い、内は意に従う故に、身意の持つと言う。殺さずと謂うは、また外は口に従い、内は嫉みを断つことを謂う。万物一切の意が起きなければ、すなわち瞋恚が止む。瞋恚が止めば殺すことも止む。殺すことが止めば貪欲も止む。貪欲が止めば泣くことも止まる。外の口とは声を謂う。声を止むる者は、両舌・悪口・妄言・綺語もまた止み、疑い無くして道に入る。これが五陰を還し十二因縁の本を断つことである。
釈:十二因縁の法を修行して十種の事業を行えば、五陰身を滅尽断除できる。外法の色・声・香・味・触・法は色身に従って現れ、内法は心意に従って存在する故に、色身は心意によって保持されると説く。例えば不殺生は、外には口に現れ、内には嫉妬を断つことによって成る。万物一切において意が生じなければ、瞋恚は滅する。瞋恚が滅すれば殺業も滅し、殺業が滅すれば貪欲も滅し、貪欲が滅すれば涕泣も止む。外の口から造作されるのは声であり、声を止めれば両舌・悪口・妄語・綺語も滅し、内心に疑い無ければ道に入る。これが十種の事業が五陰に帰し、十二因縁の根本を断つことである。
原文:人が身を受けるに三つの別あり。第一は五蘊盛陰。第二は十八種。第三は十二因縁行。この三事が身を得て三別となる。第一の五蘊盛陰とは、五蘊が身の十事から出ず。眼より色蘊となり、耳より痛痒蘊(受蘊)となり、鼻より思想蘊(想蘊)となり、口より生死蘊(行蘊)となり、意より識蘊となる。心は主として念に対し、これ六事を根本とする。これが五蘊の地である。
釈:人が生を受けて人身を得るには三種の差別がある。第一は五蘊盛陰、第二は十八種類、第三は十二因縁行であり、この三つの差別事が得られる色身に三種の差別を生じさせる。第一の五蘊盛陰とは、五蘊身が色身から十種の事業を造作し、眼根においては色蘊を、耳根においては受蘊を、鼻根においては想蘊を、口においては行蘊を、意根においては識蘊を造作する。識心が念想を主導し、色・声・香・味・触・法の六事に対応して一切法の根本となる。以上が五蘊の地である。
原文:第二に十八入十九根。十八種とは、五蘊の行を盛陰と為す。対有するものは十二入を本と為し、六情は十八間と為す。識有る故に十九根と為す。十八種と言うは、識が生じない故に十八種と為す。これは盛陰の行が十八種と十九根を生ずると説く。第三に十二因縁とは、五蘊五盛陰を謂う。十二因縁を求め行えば身有り。これは同身十事と倶に分別するものなり。色より身を得、四蘊より名を得、名色より愛受を得、受より行痴を行い、行痴成りて十二因縁と為る。道は当に断つべきなり。
釈:第二の十八種法は十九根に帰入する。十八種法は五蘊身の運行であり、六根が六塵に対応する十二入を根本とし、六識心を加えて十八界と為し、意根を加えて十九根と称する。十八種法とは第七識を含まぬ十八種を指し、五盛陰の運行過程において十八種法と意根第十九の法が共同参与する。
第三の十二因縁法は、五蘊熾盛の運行が十二因縁を求め、五蘊身を生じさせる。五蘊身には十種の造作があり、色蘊より色身を得、受・想・行・識の四蘊より名を得る。名色に愛受が現れ、受より意行と愚痴が現れ、意行と愚痴が成就して十二因縁法となる。道を修めることによってのみ十二因縁法を断じ得る。
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