衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
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仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月16日    水曜日     第1 回の開示 合計2913回の開示

阿含口解十二因縁経

(三)原文:十二因縁は本来、身の十事より生ず。身を出る十事のうち、七事は一より、三事は四より生ず。七事が一より生ずるとは、殺生・盗み・淫行、両舌・悪口・妄言・綺語、これら全て色法に帰一することを指す。三事が四より生ずるとは、嫉妬・瞋恚・愚痴が、受・想・行・識の四蘊より生ずることをいう。この十事が五蘊と合わさって十二因縁を成す。地を痴行と喩え、盛陰を為す時、生死の行いをなす。自ら種を植えることを「行」と名付け、既に行があれば識が生じ、生死の身を受ける。識あれば名色あり。

釈:十二因縁は本来五蘊の身に現れる十種の現象である。七種は色身の色法に、三種は受・想・行・識の四心法に現れる。名色が五蘊を構成し、その十種の現象が十二因縁を形成する。殺生・盗み・淫行・両舌・悪口・妄言・綺語の七事は色身に帰一し、嫉妬・瞋恚・愚痴の三事は四心法に現れる。これら十事が五蘊と合わさり十二因縁となる。愚痴を地に喩え、意の行いが五盛陰を生じ、痴の中を行く五盛陰が生死の業種を生む。行が生じれば識が生じ、六識が五蘊身の生死を受ける。識あれば名色が生起する。

原文:身は再び十事を為し、五蘊を成就する。名色が生じれば六入あり、再び盛陰を為す。行の種を植えれば後に転相を受ける。生死の因縁故に因縁と名付く。身の十事が十二因縁となるとは、嫉は痴、瞋恚は生死、精疑は識、殺は名色、盗は六衰、淫は触、両舌は受、妄言は愛、悪口は成就、綺語は願を指す。生と有の故に十二因縁あり。

釈:色身が十種の業を為せば五蘊身となり、名色の後に六入が生じる。六入が再び五蘊の身口意を運行し、業種を植えれば来世の転生が続く。これが生死の因縁法である。身の十事は十二因縁に配当され、嫉は無明、瞋恚は生死、疑念は識、殺は名色、盗は六入、淫は触、両舌は受、妄語は愛、悪口は五盛陰の成就、綺語は願行を表す。未来世の「有」を生じ、生死の輪廻が十二因縁を顕現する。

原文:何故か。淫は痴となり、瞋恚は生死となり、精疑は識となる。内なる三事が根本であり、三事あれば七事が生じ、五盛陰を成就する。嫉は五蘊の根本故に疑に属す。五蘊の行いが順意ならば善、不順ならば瞋を生じ、生死の十業をなす。外は身より、内は意より現る。疑とは白黒を弁ぜず、生死を識さぬ故に識と為す。道人十二因縁を断ぜんと欲すれば、先ず身の十事を断つべし。これにより痴が滅し、痴滅すれば五蘊も滅す。

釈:淫欲は無明を、瞋恚は生死を、疑念は識を生む。これら三つが五蘊の根本であり、七つの業が五盛陰を形成する。嫉は五蘊行の根本たる疑に属し、五蘊の行為が順境なら善、逆境なら瞋を生じて十業を造作する。外的現象は身に現れ、内的には意を表す。疑は是非を弁ぜず生死を識さぬ六識心である。修行者が十二因縁を断じるには、まず五蘊の十業を断じねばならない。これにより無明が滅し、五蘊身も滅尽する。

——生如法師の開示
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