眼根の自性は本来空なり
原文:大王よ、この如き眼処を各々に尋ね求めても、皆得ること能わざる所以は何ぞや。地界が空なるが故に、地界は清浄なり。乃至風界が空なるが故に、風界は清浄なり。若し諸法の自性が本来空なりとせば、彼の界に何の清浄あらんや。また忿諍も無し。清浄も諍いも、皆得ること能わず。復いかなる色有って見るべきや。
釈:仏は説きたまう、大王よ、この眼根を様々に推究しても得られるものではなく、全く不可得である。何故不可得か。地界が空なるが故に地界は清浄であり、水界・火界・風界も空なるが故に清浄となり、存在する法は無い。諸法が自性空であるならば、各法界に清浄という説も無く、染汚・忿怒・論争も無く、諸法の清浄と染汚は共に不可得である。いかなる色法も得られるものは無い。
眼根はいかなる方法で推求しても不可得であり、その本性は如来蔵性にあり、その相は如来蔵より賦与された幻化のもので相は不可得。眼根を構成する地水火風の四界も、その相は空であり本性は如来蔵性にしてこれまた空なり。空なるが故に四大は清浄となり、四大清浄なるが故に眼根も清浄となる。眼根の自性が空なるが故に、清浄と不浄の相も無く、その相は全く不可得であり、清浄性と染汚性も不可得。眼根の自性は如来蔵性にして自体的性質無く、これまた空なり。
眼処に地性を求めても不可得なり。地性そのものが空であり形相無く、無形の種子にして全く不可得。形成された眼根もまた不可得。水界・火界・風界の性質も皆空であり無形無相、四大種性は不可得にして空なり。形成された眼根も空にして不可得。眼根の自性を求めても見出せぬは、眼根に自性無きが故なり。
仏は諸法の自性が本来空なりと説きたまう。故に眼根という法も自性本来空にして、空より生じ空に帰す。眼根が生じた後もまた滅して無に帰す。来処も去処も無く、本来空なり。地界・水界・火界・風界は皆本性空なるが故に、形成された眼根の自性も空なり。眼根界に清浄或いは不浄という説も存在せず、清浄と染汚、善悪の区別も無し。本来空なるが故に、清浄なりや否や、諍いありや否やと論ずることも無きなり。
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