眼根が虚妄である理由
地水火風が輸送される以前、我々に眼根の存在はあったか。存在しなかった。元来一切が無であった。如来蔵が地水火風の四大種子を輸送し始めて初めて、眼根が形成される。眼窩・眼球硝子体・網膜・視覚伝達神経が、無から次第に物質色法を形成し、最終的に散壊すれば、眼処には微塵ほどの法も得られない。
地水火風の四大種子もまた形も相もなく、物質色法ではない。如来蔵は形相なく、無形無相の種子を輸送することで有形有相の色法が形成される。無から有形有相の物質が生じる。この中に微塵の法も得られず、何ものも得ることはない。地性も得られず、水性も得られず、風性も得られず、火性も得られない。されば眼根・眼球・硝子体・網膜などは得られぬ虚妄の存在であり、瞬時に滅するもの、依存すべからず、執着すべからざるものである。
地水火風の四大種子も得られず、形成された物質世界も得られない。この中に微塵の法も存在せず、何故か。物質色法には自主性なく、主宰性なく、自在性なく、幻化された実体なきものだからである。ここに主宰する者なく、これを造作する者もない。誰が造作するのか。もし我々が造作するというなら、誰が我々に命じるのか。眼根が未生以前、五陰は存在せず、いわゆる「我々」も存在しなかった。如来蔵は主宰せず、造作もせぬ。故に眼根を造作する者も法も存在しない。
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