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日常開示

2020年12月13日    日曜日     第4 回の開示 合計2904回の開示

父子合集経講記(六一)

眼根の自性は本来空である

原文:大王よ。このような眼処を、それぞれに求めても、いずれも得ることはできない。なぜか。地界が空であるがゆえに、地界は清浄である。水界・火界・風界が空であるがゆえに、風界も清浄である。もし諸法の自性が本来空であるならば、それらの界に清浄など存在しようか。また怒りや争いもない。清浄も争いも、いずれも得ることはできない。いったいどのような色があって、見られるというのか。

釈:仏は説かれた。大王よ、このような眼根は、あらゆる方向から推究しても見出すことができず、まったく得られない。なぜ得られないのか。地界が空であるがゆえに地界は清浄であり、水界・火界・風界が空であるがゆえにこれらの界も清浄であり、一切の法が存在しないからである。もし諸法が自性空であるならば、各法界に清浄という概念はなく、染汚・怒り・争いも存在せず、諸法の清浄と染汚はともに得られない。ではいったいどのような色が得られようか。一切の色法は得られないのである。

眼根はいかなる方法で推求しても得られず、その本性は如来蔵の性であり、その相は如来蔵によって与えられた幻化のものである。相は得られない。眼根を構成する地水火風の四界も、その相は空であり、その本性は如来蔵の性である。これもまた空である。空であるがゆえに四大は清浄であり、四大が清浄であるがゆえに眼根も清浄である。眼根の自性が空であるがゆえに、清浄と不清浄の相もなく、その相はまったく得られず、清浄性と染汚性もまったく得られない。眼根の自性は如来蔵の性であり、自体的性質を持たず、これもまた空である。

眼処において地性を求めても、得ることはできない。地性そのものが空であり、形も相もない種子であって、まったく得られない。それによって形成された眼根も、また得られない。水界・火界・風界の性質もすべて空であり、形相なく、四大種の性質は得られず空である。それによって形成された眼根も空であり、得られない。では眼根の自性を求めても見出すことはできず、眼根には自性がないのである。

仏は諸法の自性が本来空であると説かれた。ゆえに眼根という法も、自性は本来空であり、空から空へと帰して何も存在しない。眼根が生じた後も滅び去り、何も残らず、来処も去処もなく、それ自体が空である。地界・水界・火界・風界はすべて本性が空であり、それによって形成された眼根の自性も空である。眼根界に清浄か否かの論は存在せず、清浄も染汚も、善悪も存在しない。それ自体が空であるがゆえに、清浄か否か、争いがあるか否かを論ずることはできないのである。

——生如法師の開示
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