(十一)原文:いかにして二つの入処という。無想入と非想非無想入なり。これが即ち二入処である。阿難よ。この二つの入処について、或る沙門婆羅門は言う。『この処は安穏なり。救いとなり護りとなり、舎宅となり燈明となり、光明となり帰依となり、虚妄ならず煩悩なき処なり』と。阿難よ。もし比丘が二つの入処を知り、その集起を知り滅尽を知り、その味わいを知り過患を知り、出離の要道を知り、如実に知見するならば、その比丘は言うであろう。『それらは我にあらず、我はそれらにあらず』と。これを如実に知見することを以て、二入処と為す。
釈:二種の入処とは何か。無想天入処と非想非非想天入処が即ち二種の入処である。阿難よ、この二つの入処について、ある沙門婆羅門は安穏の処、救護ある処、舎宅、燈明の処、光明の処、帰依の処、虚妄ならぬ処、煩悩なき処であると説く。阿難よ、もし比丘たちがこの二入処を了知し、その集起と滅尽を了知し、二入処への貪愛と過患を了知し、二入処を出離する要道を了知し、如実に知見するならば、比丘たちは『二入処は我にあらず、我は二入処にあらず』と説くであろう。この理を如実に知見することを以て、二入と為す。
原文:阿難よ。また八解脱あり。いかにして八つという。色を観じて色と為す、これ初解脱。内に色想なくして外色を観ず、二解脱。浄解脱、三解脱。色想を超え、有対想を滅し、雑想を念わずして空処に住す、四解脱。空処を超え識処に住す、五解脱。識処を超え不用処に住す、六解脱。不用処を超え有想無想処に住す、七解脱。滅尽定、八解脱。阿難よ。諸比丘はこの八解脱において、順逆に遊行し出入り自在なり。かくの如き比丘は俱解脱を得たり。この時、阿難は仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行せり。
釈:阿難よ、さらに八種の解脱がある。第一の解脱は色想を有し色貪ありながら色の不浄を観じ、色不浄を証得する時、心解脱を得る。第二の解脱は内に色想なく外色の不浄を観じ、色不浄を証得する時、心解脱を得る。第三の解脱は身心ともに清浄を得て解脱する。第四の解脱は色想を超越し、有対想を滅し、色を念わず他の雑想もなく、空無辺処定に住して解脱する。第五の解脱は空無辺処を超え識無辺処定に住して解脱する。第六の解脱は識無辺処を超え無所有処定に住して解脱する。第七の解脱は無所有処を超え非想非非想定に住して解脱する。第八の解脱は滅尽定に住して解脱する。阿難よ、諸比丘はこの八解脱について順次に進入し、あるいは逆次に入定し、出入り自在である。かくの如き比丘は八解脱をことごとく証得し、俱解脱の阿羅漢と称され、解脱の智慧と四禅八定を悉く具足する。
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