衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2020年12月11日    金曜日     第3 回の開示 合計2896回の開示

父子合集経講話(五十六)

識界の虚妄性

眼識が色塵を了別した後、眼識は消滅する。耳識が声塵を了別した後、耳識は消滅する。鼻識が香塵を了別した後、鼻識は消滅する。身識が触塵を了別した後、身識は消滅する。意識が法塵を了別した後、意識は消滅する。この六つの識は来る所なく、去る所もない。生起する時も空であり、滅する時も空である。眼識が生起する時、その所在はなく、眼根と色塵からも来ず、虚空からも来ず、大脳からも来ない。滅する時も滅する所がなく、眼根に入らず、色塵に入らず、虚空に入らず、大脳に入らない。これは小乗の説法であり、大乗においては全て如来蔵から来るのである。

識界の自性は一切の法を離れ、一切の法に執着せず、その自体の性質は本来空である。識性は男相に住せず、女相にも住さない。男相もなく女相もないが、識性は男相と女相を了別することができる。識界は形と自体相を持たず、ただ言葉によって示されるに過ぎない。故に識界と識界の性質は共に不可得であり、執着することも捉えることもできない。ただ仏の正知正慧のみがこの事を徹底的に了知し得るのである。

これらの識もまた眼耳鼻舌身意の六根に住せず、外界の色塵・声塵・味塵・触塵にも住さず、根と塵に住せず、一切の法に住さない。本来男相も女相もなく、ただ言葉による仮相・名相に過ぎない。故に六識界及び識界の性質は不可得である。

識の性質は分別である。眼識は色を分別し、耳識は声を分別し、鼻識は香臭を分別し、舌識は酸甘苦辛を分別し、身識は触塵を分別し、意識は法処所摂色を分別する。その自性は全て不可得である。ただ仏の正慧のみがこの事柄を完全に了知し得るのであり、我々は僅か一部を了知するに過ぎない。

——生如法師の開示
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