(二)原文:また問う。世尊。誰が愛するのか。仏は頗求那に告げた。我は愛する者ありとは説かず。もし我が愛する者ありと言わば、汝はかくの如く問うべき『誰が愛するか』と。汝は問うべき『何の縁故に愛ありや』と。我はかくの如く答うべき『受を縁として愛あり。愛は取を縁とす』と。また問う。世尊、誰が取するのか。仏は頗求那に告げた。我は取する者ありとは説かず。もし我が取する者ありと言わば、汝は問うべき『誰が取するか』と。汝は問うべき『何の縁故に取ありや』と。我は答うべき『愛を縁として取あり。取は有を縁とす』と。
釈:頗求那また問う。世尊、誰が貪愛するのか。仏は頗求那に告げた。我は貪愛する者ありとは説かず。もし我が貪愛する者ありと言わば、汝はかくの如く問うべき『誰が貪愛するか』と。汝はかくの如く問うべき『何の因縁によって貪愛が生ずるか』と。我はかくの如く答うべき『受あるが故に貪愛あり。貪愛を縁として取の行為が生ず』と。頗求那また問う。世尊、誰が取するのか。仏は頗求那に告げた。我は取する者ありとは説かず。もし我が取する者ありと言わば、汝は問うべき『誰が取するか』と。汝は問うべき『何の因縁によって取が生ずるか』と。我は答うべき『貪愛の故に取が生ず。取を縁として三界の有が生ず』と。
原文:また問う。世尊、誰が有するのか。仏は頗求那に告げた。我は有する者ありとは説かず。もし我が有する者ありと言わば、汝は問うべき『誰が有するか』と。汝は今問うべき『何の縁故に有ありや』と。我は答うべき『取を縁として有あり。当来の有を招く。触生する、これを有と名づく。六入処あり。六入処は触を縁とす。触は受を縁とす。受は愛を縁とす。愛は取を縁とす。取は有を縁とす。有は生を縁とす。生は老死・憂悲・悩苦を縁とす。かくの如く純大苦が聚集す。六入処滅すれば則ち触滅す。触滅すれば則ち受滅す。受滅すれば則ち愛滅す。愛滅すれば則ち取滅す。取滅すれば則ち有滅す。有滅すれば則ち生滅す。生滅すれば則ち老死・憂悲・悩苦滅す。かくの如く純大苦聚集滅す』。仏この経を説き終わりたまう。諸比丘仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行せり。
釈:頗求那また問う。世尊、誰が有するのか。仏は頗求那に告げた。我は有する者ありとは説かず。もし我が有する者ありと言わば、汝は問うべき『誰が有するか』と。汝は今かくの如く問うべき『何の因縁によって三界の有が現れるか』と。我は答うべき『取の心行あるが故に三界の有あり。取は未来世の有を招来す。触生が現ずる、これを有と名づく。六入処あるが故に触あり。六入処の因縁が触を生ぜしむ。触の因縁が受を生ず。受を縁として愛あり。愛を縁として取あり。取を縁として有が生ず。有を縁として生命の出生あり。生命あれば則ち老死・憂悲・悩苦あり。かくの如く純大苦が聚集す。もし六入処滅すれば触滅す。触滅すれば受滅す。受滅すれば愛滅す。愛滅すれば取滅す。取滅すれば有滅す。有滅すれば生滅す。生滅すれば老死・憂悲・悩苦の純大苦聚滅す。
十二因縁法においては、識を食する者なく、触する者なく、受ける者なく、愛する者なく、取する者なく、有する者なく、生ずる者なく、老死する者なし。これら一切の法は因縁所生なり。因縁所生の法は全て主宰者なき故、主たるものにあらず。それ誰が識を食と為すか。誰が触し、受け、愛し、取り、有し、生じ、老死するか。能う者なし。これらはただ浮雲の如き仮象に過ぎず、過ぎ去りて留まらず、絶えず遷流変化し、生滅変異して得可からず。時移り境遷れば、もはや触せず。仮に触ありとも、当時の如き受なく、更に愛なく、取執もなし。しかれどもなお後世の有を免れず。何となればまた別様の触、別様の受・愛・取あるが故なり。これ即ち変異なり。
もし主宰者あらば、これらの法は変異せず、恒に一触、恒に一受、恒に一愛、恒に一取、恒に一有、生老病死なかるべし。主なき故必ず生滅変異無常にして、恒常ならず。必ず識を食する者なく、触する者・受ける者・愛する者・取する者・有する者・生ずる者・老死する者なし。
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