衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2020年11月29日    日曜日     第1 回の開示 合計2848回の開示

雑阿含経(三七二)その一

(一)原文:このように私は聞いた。ある時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園におられた。その時、世尊は諸比丘に告げられた。「四種の食が衆生を資益し、世に住まわせ、摂受して長養する。何が四種か。一は粗抟食、二は細触食、三は意思食、四は識食である」。時に比丘の名を頗求那という者が仏の後ろに立ち扇であおぎながら仏に申し上げた。「世尊、誰がこの識を食とするのですか」。仏は頗求那に告げられた。「私は識を食とする者があるとは説かない。もし識を食とする者があると説くなら、汝はこのように問うべきである。私は識が食であると説く。汝は『何の因縁によって識食があるのか』と問うべきである。私は答えるであろう。未来の有を招き、相続して生じさせるためである。有がある故に六入処があり、六入処を縁として触が生ずる」。

釈:世尊は諸比丘に告げられた――四種の食が衆生を養い助け、衆生を摂受させ長く世に住まわせる。第一は粗い飲食、第二は微細な触食、第三は意識と意根の思食、第四は識心の了別食である。この時、頗求那という比丘が仏の後ろで扇であおぎながら仏に申し上げた:「世尊、誰が識心を食とするのですか」。仏は答えられた:「私は識を食とする者を説かない。もし説くなら、汝はそのように問うべきである。私は識が食であると説く。汝は『何の因縁で識食があるか』と問うべきである。私は答える――識食は未来世の有を招き、三界の有を相続させ生じさせる。三界の有がある故に六入処があり、六入処を縁として触が生ずる」。

問題:なぜ仏は七識を食とする者がないと説かれたのか?

原文:頗求那が再び問うた。「誰が触れるのですか」。仏は告げられた。「私は触れる者があるとは説かない。もし触れる者があると説くなら、汝は『誰が触れるか』と問うべきである。汝は『何の因縁で触が生ずるか』と問うべきである。私は答えるであろう――六入処を縁として触が生じ、触を縁として受が生ずる」。再び問うた。「誰が受けるのですか」。仏は告げられた。「私は受ける者があるとは説かない。もし受ける者があると説くなら、汝は『誰が受けるか』と問うべきである。汝は『何の因縁で受があるか』と問うべきである。私は答えるであろう――触を縁として受があり、受を縁として愛が生ずる」。

釈:頗求那が再び問うた:「誰が触れるのですか」。仏は答えられた:「触れる者があるとは説かない。説くなら汝はそのように問うべきである。汝は『何の因縁で触が生ずるか』と問うべきである。六入処を縁として触が生じ、触が受を生じさせる」。再び問うた:「誰が受けるのですか」。仏は答えられた:「受ける者があるとは説かない。説くなら汝はそのように問うべきである。汝は『何の因縁で受があるか』と問うべきである。触を縁として受が生じ、受が愛を生じさせる」。

問題:なぜ触れる者がないのか? なぜ受ける者がないのか? なぜ愛する者がないのか? なぜ取る者がないのか? なぜ有る者がないのか?

——生如法師の開示
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