(二)原文:もし諸の沙門婆羅門が法を如実に知り、法の集まりと滅び、法滅の道跡を如実に知るならば、まさに知るべし、この沙門婆羅門は真の沙門なり、沙門の数に属し、婆羅門の数に属す。彼らは沙門の義、婆羅門の義をもって法を見、自ら証を得て知る:我が生は尽き、梵行は立ち、なすべきことはなし、自ら後の生を受けざることを知る。
釈:もし諸々の沙門婆羅門が諸法を如実に知り、諸法の集起と滅去、および滅の道跡を如実に知るならば、これらの沙門婆羅門こそ真の沙門・婆羅門に属し、沙門と婆羅門の数中にある。これらの沙門婆羅門は沙門と婆羅門の名義によって縁起法を見、自ら証得して知る:我が生は尽き、梵行は成じ、なすべきことはなし、自ら後の生を受けざることを知る。
原文:いかなる法を如実に知るか。いかなる法の集まり、法の滅び、法滅の道跡を如実に知るか。老死の法を如実に知り、老死の集まり、老死の滅び、老死滅の道跡を如実に知る。かくのごとく生・有・取・愛・受・触・六入処を如実に知り、六入処の集まり、六入処の滅び、六入処滅の道跡を如実に知る。かくのごとく諸法を如実に知り、法の集まり、法の滅び、法滅の道跡を如実に知る。仏はこの経を説き終えられし時、諸比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜して奉行せり。
釈:いかなる法を如実に知るか。いかなる法の集まり、いかなる法の滅び、いかなる法滅の道跡を如実に知るか。老死の法を如実に知り、老死法の集起を如実に知り、老死法の滅を如実に知り、老死法滅の道跡を如実に知る。同様に生・有・取・愛・受・触・六入処の法を如実に知り、生有取愛受触六入処法の集起を如実に知り、生有取愛受触六入処法の滅を如実に知り、生有取愛受触六入処法滅の道跡を如実に知る。また同様に諸法を如実に知り、諸法の集起を如実に知り、諸法の滅を如実に知り、諸法滅の道跡を如実に知る。
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