衆生無辺誓い度す煩悩無尽誓い断つ法門無量誓い学ぶ仏道無上誓い成す
作為は意識が意根を抑圧し、調伏し、制御し、薫染し、導くことである。意根を導き、諭す段階では、意根はまだ薫習されておらず、良好な習慣が形成されていない。意根が薫習に成功し、良好な習慣が養成された時、老いた牛が従順になれば牛の気性も改まるように、意識はもはや意根を管理し抑圧し調伏する必要がなく、作為的に何かを行う必要もなくなる。意根の良好な習慣に従順に従い、規矩に背くことはなくなるのである。
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