衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年11月03日    火曜日     第1開示 合計2760開示

見道に必要な禅定

我々が見道し悟りを証するために必要な禅定は、常に保たれ続けるものなのでしょうか、それとも心を起こした時には定があり、必要な時には定があるが、普段は定がないという状態なのでしょうか?

もし修行している禅定が比較的堅固であれば、心は常に定の中にあり、ただ時に強く時に弱いだけです。世俗の事柄が多いと心が散り、その時に定力は弱くなります。もし修行している禅定が堅固でなければ、座っている時には定があり、座を下りれば散乱して禅定がなくなってしまいます。

果を証し心を見るために必要な禅定は、比較的堅固な禅定です。そのような禅定は深く、観行思惟が深く細やかで連続的になり、功夫を持続させることができ、観行の智慧はますます良くなっていきます。これは水を沸かすようなものです。火が絶えず燃え続ければ、鍋の中の水はどんどん熱くなり、最後には沸騰します。もし火が途切れ途切れであれば、鍋の中の水は熱くなったり冷めたりを繰り返し、いつ沸騰するのか分かりません。

修行における最低限の禅定とは、観行思惟をする時に必ず連続した禅定がなければならないということです。禅定の中で観行思惟を行い、思惟の連続性と持続性、そして不断の深化を保証しなければなりません。長い間観行思惟を続けられるように、定力が十分に保たれなければなりません。そうでなければ功夫は途切れやすく、思惟が連続せず、観行を徹底することができずに我見を断つことができません。禅定があれば、他の因縁が揃えば、いつでも道を証することができるのです。

——生如法師の開示
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只貴子眼正、子の行履を説かず

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雑阿含経(二九三)之二

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