多くの小動物は夜行性の衆生であり、昼間は眠り夜中に活動や餌探しをします。光や人間を恐れるため、明るい時は極力姿を現しません。これは彼らの色身の仕組みによるものであり、また福徳がなく自力で食を得られず盗み食いしなければならない業の結果です。要するに業力によって定められた姿なのです。小畜生は福徳を持たないため、人間や自分より福徳の大きい衆生を恐れざるを得ません。同類の衆生においても、福が大きい者が指導的な地位を占め、群れの長となるのです。
故に人々が福徳を使い果たし、なお三悪道への業を有するならば、必ず三悪道で苦しみを受けることになります。三悪道はほとんど福を必要とせずに生存できますが、福なきところには必ず苦が伴います。福と苦は秤の両端のようなもので、一方が低ければ他方が高くなる関係です。仏教徒であっても福を修めず福徳を浪費するなら、それは誠に残念なことです。福が尽きれば大いなる苦を受けるという道理を知らないのは、無知と愚かさの現れです。福を修めることを拒み、举手の労で他者を利する行為さえしない者は、決して聡明な人とは言えません。自己中心的な心しか持たない者は、智慧ある者ではあり得ないのです。
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