阿羅漢は有余涅槃において、縁に随って日を過ごし、五蘊世間の一切の法に執着せず、心は空で無我であるため、三界世間法の業種は次第に消滅していきます。三界世間の業種が存在しないため、後世にも三界世間は存在せず、まして五蘊身が三界世間に出生することはありません。もし阿羅漢の第八識に三界の業種が残っていれば、その種子は必ず現行に現れ、業行に応じた報いを受けるため、無余涅槃の境界は成立し得ないのです。
しかし阿羅漢が無余涅槃に入った後、いずれ再び三界世間に現れる時が訪れます。これは阿羅漢が涅槃に入る前に大乗を聴聞し、大乗の法の種を蒔いたためです。種子が熟する時、第八識は意根の識種子を出力し、意根を出生させて中有の身に入り、再び胎に投じて大乗を修学するのです。
業種は意根と相応じ、意根は業種と相応じます。意根が三界世間を執取しなければ、世俗の業種を留め置くことはできません。執取があれば善悪の業を造り続け、業種が残ることで後世には業種に随って再び輪廻転生します。意根が執取しなければ、六識は業を造らず、業種も生じないため、業を受ける必要はないのです。
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