阿羅漢が無余涅槃に入ると、その三界の世間法は消失し、三界世間(欲界・色界・無色界を含む器世間)に存在する極めて多くの色法も現れなくなります。阿羅漢が無余涅槃に至れば、七識に対応する帯質境・性境・独影境などの色法が生起しないだけでなく、第八識に対応する本質境の色法も生起しません。本質境が存在しなければ、帯質境・独影境・性境も存在し得ません。これらの境界は三界の業種が顕現した依報世間法であり、正報は五蘊身です。
「万念灰燼に帰する」のは凡夫世俗人の状態であり、聖人に無念の境地がある故に「灰燼」という概念は当てはまりません。阿羅漢が世俗人の如く万念を失うことは不可能です。「万念灰燼」とは、数多の希望と願いが達成されず失望の果てに世俗的念想を全て放棄した状態を指しますが、意根には未だ多くの想念が残存しており、ただ実現不可能となったに過ぎません。
仏は「灰身泯智」という表現で阿羅漢の無明を喩えられました。「灰身」とは現世の五蘊色身と未来永劫の五蘊色身を断滅することを指し、「泯智」は三界解脱の智慧を消滅させることを意味します。これは阿羅漢が身心を放棄して解脱と寂静を名乗る状態を表します。
真実の解脱とは、一切の境界に対し境界なきが如く、欲求なく求めず、見て見えず聞いて聞こえず、作為を起こさず回避せず、染着せず汚れず、絶対の自在を得ることにあります。仏陀はこのような解脱自在の境地にありながら五蘊身の解脱色を具現し、転識得智した七識心を保持し、身心智が分離することなく共存します。いかなる天魔外道もこれを妨げ得ません。これが仏陀の無住処涅槃の境界であり、あらゆる法に執着せず、無垢識の如く無為でありながら真如の如く有為を妨げず、大円鏡智の如く有為と無為が渾然一体となり、比類なき境地を現出します。衆生の境界は仏陀の境界と比べるべくもありません。
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