我見を断つことは五蘊無我の理を観行することであり、第八識には関与しない。第八識を証得するには大乗般若を修学する必要がある。意識が相当の般若正知見を具えた後、禅定によって参禅し、第八識を参究して初めて大乗の証道が可能となる。大小乗の修行方法と内容は異なり、証道後の心の空の次元と内実も異なる。小乗の我見断ちは五蘊の空無我を証得することであり、単独の「無」としての空である。これに対し大乗証道後の空は、小乗の「無」の空を含みつつ、更に証得した第八識自体が有する独特の空性を含む。第八識自体が如何に空であるかを知り、その生み出す五蘊身が如何に空であるかを観察できる。故に大乗の空は小乗の空よりより究竟したものであり、真理により近く、法界の真相をより体現できる。証道時の両者の智慧には大きな隔たりがある。
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