衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年09月16日    水曜日     第2開示 合計2625開示

戒定慧三学

仏法の修証の鍵となる部分について、仏は繰り返し繰り返し私たちに説かれましたが、それは戒定慧の三無漏学です。戒学においては必ず厳格に戒律を守らなければならず、その後にこそ心が定まり、心が定まった後にこそ観行 (vipaśyanā-caryā) の智慧が生まれ、観行が成熟すれば般若 (prajñā) の大智慧が生じます。般若の大智慧は非常に重要であり、解脱へと導くことができます。そして般若の智慧の生起は深く細やかな観行の智慧に依拠し、観行の智慧の獲得は禅定に頼り、禅定の生起は戒律に依存します。戒定慧の三学は一環また一環と連なり、いずれも重要であり、どの環節も緊密に結びついていて、どれ一つ欠くこともできず、省略したり捨て去ったりすることはできません。さもなければ実証はあり得ません。

禅定を修めて得た後は、それを観行の智慧へと転化することを学び、心念を巧みに転換しなければなりません。さもなければ禅定は永遠に禅定のままであり、外道の定と何ら変わりがなく、般若の智慧は生まれず、無我を証得することもできず、解脱して自在を得ることもできません。静坐に興味を持たない人は少なくありませんが、その原因は心が散乱しすぎて座っていられないことにあり、それゆえ動中の定に頼らざるを得ないのです。しかし静の中の心さえ把握しにくいのに、動の中の心はなおさら把握しにくいものです。たとえ動中定がうまく修まったとしても、その定は静中定より浅く、心は粗く、思惟は細密さを欠き、観行の智慧も粗浅であり、真に実証することはできません。それゆえ静中定は基礎であると同時に最後の帰依処でもあり、大智慧は必ず静中定から生まれなければなりません。歴代の祖師や諸仏菩薩はみなそうであったのです。

静中定がよく修まれば、思惟は敏鋭かつ深細となり、行住坐臥を通じて心は常に定の中にあり、煩悩を降伏させることができ、心境は軽やかで愉快になり、心念は自然と善念が多くなります。それゆえ静中定は非常に重要であり、これは十方の諸仏菩薩や祖師大徳が伝え残してきた法宝ですから、必ず大切にしてしっかりと修持しなければなりません。

——生如法師の開示
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