徳とは、福徳・品徳・人格・教養・才能・技量などの活用可能な資源を指す。位とは、地位・権勢・名声・名称・眷属・利益などを包含する。これらの資源を投資してその位を得る時、資源が不足すればそれは高利貸しとなり、最終的に資産が負債を償えず倒産・破綻・負債を抱え、命でさえも抵当に入れねばならぬ事態に至る。もし命をもってしても負債を清算できず、福徳の欠損が甚大ならば、三悪道に堕ち、最悪の場合三悪道の最底辺に沈むこととなり、再び上昇することは極めて困難となる。
世間の名声や権勢は万人が良しとし求めるものだが、福徳が不足している者が手段を弄して強奪すれば、高利貸しは膨大な代償を払わせ、結局は無名で過ごす方が堅実で充実していると悟るだろう。人生において、何を争う必要があろうか。凡て手に入れたものは相応の福徳を消費するものであり、福徳が尽き果てれば人間としての資格も消滅する。故に名聞利養を求めず、他人に高く評価されることを望まず、権貴を尊ぶことを求めず、人々の仰慕を受けることを望まず、手段を選ばずして人上に立とうとせず、人下にいる者の方が利益は大きく、謙虚で譲る心が即ち福を生み、慎み深さが即ち福を生むのである。
逆に、自らの様々な欲望が実現する時、即ち福徳を消耗し、名声が高まる時、福徳を消耗し、志を得て満足する時、福徳を消耗する。福徳を最も迅速に大量に消耗するのは悪事を働き悪業を造ることであり、戒律違反は最大の福徳消耗行為である。五戒十善に背き、殺生・盗み・邪淫・妄語、貪欲・瞋恚・嫉妬、両舌・悪口、奸逆の小人となるなど、一切の悪心悪行は福徳を甚大に消耗する。福徳が尽きれば、人間界における一切の事業は廃れ、もはや人間として存在する必要もなくなる。
得ることは即ち福を消し、失うことは即ち業を消す。人から尊重されるには福徳を消耗し、罵倒されることは業を消す。故に忍辱は徳であり、忍辱は福を生み、忍辱は大業を成し遂げる。道を見て道を成すことが即ち大業であり、最終的に仏となる。頂業を成就すればもはや修行は不要となり、大楽を得る。故に忍辱は大業と大楽を成し得る。福は尽くすまで享受せず、辱は尽くすまで受けるべし。福は享楽せずとも良し、辱は必ず受けるべし。大志を抱く者はこのことを肝に銘ずべし。
27
+1