今日はお盆の鬼神の祭日であり、私たちが冥界の衆生に紙銭を焼くと、彼らは受け取った後それを使い、日用品を購入したり、借金を返済したり、贈答を交わしたりします。鬼と人間の外相分は同一でしょうか?私たちが人間の外相分を焼き尽くすと、冥界に外相分が現れますが、これらの紙銭は冥界の衆生にとってどのような相分に当たるのでしょうか?人間が見る相分との違いは何でしょうか?外相分はどのように変換されるのでしょうか?
かつて私は冥界の衆生に手書きの大悲呪とお経を焼いたことがあります。すると夢枕に立ち、彼らが眼鏡をかけながら経典を手に喜んで学んでいる姿を見せてくれました。またかつて鬼道の衆生に観想を送った際、夢で健康を取り戻し、精神が愉快になり、心境が明るくなった様子が示されました。
人の心念は不可思議であり、一つの念いが確かに多くの法相を変え、ついには三千大千世界を変容させます。このような念いは極めて優れた定と慧、すなわち三昧を必要とします。三昧の真火が大千世界を焼き巡り、大千界を欣欣向栄たらしめます。一つの大千世界の衆生は共業を持ち、置かれた環境が大凡同じであるため、外相分もほぼ同様です。共業が多ければ多いほど、隔たりが近く、外相分はより一致します。しかし別業が異なるため、各自が触れる内相分に差が生じ、受用が異なるのです。
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