塵の生滅変異性・不実在性・虚仮性・空性を証得した後、心が塵に対峙する時には既に空じ、浄まります。見解が変わり、知見が改まり、正見を具足し、心中に塵無く、塵を見て塵に非ずと悟り、塵三昧を獲得し、塵三昧の中に安住します。しかし塵は消滅せず、仮相は依然として存在しますが、それに対する一切の認知が変化し、迷いが無く、倒錯せず、執取しなくなります。
塵は心が了別する相であり、色相と心相、及び非色非心の相を含みます。心は根であり、法は塵であり、この二つは鏡の上の痕のようなものです。法を学ぶ際、理は理、事は事で、永遠に別物のままです。事に遭遇すれば、理は後頭部に追いやられ、事に阻まれてしまいます。このような学法では、驢馬の年まで修めても解脱できるでしょうか?
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