衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年08月08日    土曜日     第1 回の開示 合計2519回の開示

意識の智慧はなぜ意根の智慧より大きいのでしょうか

識の智慧が意根よりもはるかに優れている理由の一つは、識の対象が意根より少なく、主導的な識ではないため、あらゆる事柄に執着せず、問題に集中して思考しやすく、境界を了別する能力がより鮮明であるからです。意根が縁り、執着し、了別する法は非常に多く、如来蔵から生じるすべての法を意根は縁することができ、古今東西の自分に関わる事柄や、身根における刹那毎の微細な変化をも了別し、知ることができます。たとえ自分に関係のないことでも、攀縁の習気によって縁を求め執着します。そのため心の念が集中しにくく、了別の智慧が弱く、法に対する認識が不鮮明となります。

識の智慧が意根を超えるもう一つの理由は、識がただ一世に存在し、環境からの影響が極めて軽微で、意根のような多くの煩悩や無明がなく、業障も少なく、覆い隠す障害が少ないため、識は意根よりも聡明だからです。

もし意根の縁る対象が少なく、心の無明が深くなく、無始劫以来無量の生死の業障を積み重ねていなければ、意根も識のように智慧を持ち、証拠が不十分であっても合理的な結論を導き出し、真理を証得できたでしょう。しかし意根はそうではないため、私たちが修行して実証することがこれほど困難なのです。

——生如法師の開示
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