仏道を学ぶ者はこの世界を修行に活用できる。衆生はこの世で報いを受けるが、それ以外に何の意味もない。
私たちが直面しているのは電気信号に過ぎず、何もないのに、色鮮やかで華やかな六塵の世界を解釈している。それらの電気信号も実体があるわけではなく、見えず触れない種子が幻化したものである。実は世の中には何もなく、世間も存在しない。衆生は目の病(翳)を患っており、無理やり世間と世間の一切の法を見てしまう。
世間及び世間の一切の法は、意義があると思えば意義があり、無意味だと思えば無意味である。法に心はなく、物に心はなく、場面に心はなく、世界に心はない。衆生に心があるため、場面にどのような意味を付与すれば、場面はその意味を持ち、世界にどのような意味を付与すれば、世界はその意味となる。もし心がなければ世界はなく、心があれば一切の法がある。
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