衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年07月31日    金曜日     第1 回の開示 合計2502回の開示

近視と老眼の錯覚

近視と老眼は、主に浮塵根の器質的な退化に関係しています。浮塵根を通じて伝達される四大の微粒子に多少の変形が生じ、勝義根に形成される像が歪み、本来の姿と合わなくなるためです。眼識と意識が認識するのは歪んだ色塵であるため、眼鏡をかけて浮塵根の病変を補正・補完する必要があります。楞厳経で世尊は、目の網膜に障害がある人、例えば白内障の人が灯光を見るとき、灯光の中に円形の影が見えると説かれました。実際には灯光に円形の影は存在せず、他の人には見えません。これは眼疾患者の網膜に余分な肉が生じ、外界の色塵である四大微粒子の伝達を遮るため、後頭部の勝義根に暗い部分が現れ、それが円影となるのです。眼識と意識が認識する内側の色塵である灯光には円影が付随し、全体が明るくはありません。

目を閉じて心を休める時は気が安定しますが、目で物を見る際には気血を消耗します。過度に目を使うと気虚血虚を招き、肝臓や腎臓などの臓器の気血が不足すると虚損状態になり、眼球の疲労や脹痛、近視・老眼などの病変を引き起こし、物体や文字がはっきり見えなくなるため、老眼鏡や近視鏡が必要となります。眼疾を持つ人が物をぼんやり見るのに対し、他の正常な人々は同じ物体や文字をはっきり認識できます。よって全ての衆生が見る色は、各自の勝義根というブラックボックス内の仮の色・虚の色であり、外界の真実の色・実在の色ではないのです。

眼鏡をかけた後、色を見ると清晰で正常に感じられますが、実は見ている色はより虚妄で実在性を失います。如来蔵が外界の色塵粒子を大気を通じて眼鏡に伝達する際、粒子は実際の外界色塵と多少異なります。眼鏡のレンズが一部の粒子を阻害し、色塵を拡大して偽りの類似粒子配列から成る幻相とし、これを再び眼の浮塵根に伝達します。粒子はさらに一部が遮断され、眼の硝子体と視覚神経を経て勝義根に至り、以前より更に虚偽で幻のような内色塵となり、僅かに拡大されて眼識と意識による認識を容易にします。故に六識が認識するものに真実などあるでしょうか。音声の良し悪しや是非に執着する必要がどこにあるでしょう。

考察すべき問題:第一に、近視・老眼で眼鏡をかけていない時、見る色は真実をそのまま映しているか。第二に、眼鏡をかけた時、見る色は真実か。第三に、正常な目で見る色は真実で実在するか。

結論:因縁によって変化する性質を持つもの、因縁の変化に従って変容する法は、全て仮の法・幻の法・不実在の法です。これを否定し、真実と見做さず、我や我所と認識すべきではありません。それでも貴方は肉眼の見るものを信じますか。六識の知覚を信頼しますか。究極的に:自らの認識は全て正しいですか。貴方はまだ自信がありますか。更に:未だに虚偽を認めますか。真実を認めたいですか。今後真実を認められますか。どうすれば真実を認められますか。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

大乗と小乗における「空」は同一の境地ではありません

次の記事 次の記事

煩悩の断除について

ページのトップへ戻る