衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年07月20日    月曜日     第2 回の開示 合計2479回の開示

八識が色身に及ぼす影響と制御

色身に身識がない場合でも、身体は微弱な活動を維持することがあります。例えば、ある衆生の首が切断されても身体がまだ蠕動するのは、意根が身体を執持する際、大脳中枢神経系統を制御できなくても脊髄神経系統が存在するため、意根が脊髄神経系統を介して身体を蠕動させるからです。この時、必ずしも身識や意識の参与を必要としません。また、睡眠中、深い眠りに陥った時でも身体に微弱な活動現象が見られるのは、これも神経系統の活動に属します。夜中の寝言やまぶたの瞬きも無意識の活動であり、意識と身識は現起しません。

身体内部の活動、例えば心拍・脈拍・呼吸・神経系統の活動・胃腸の蠕動・消化吸収・細胞の新陳代謝などは、一般的に如来蔵が自主的に調節・執持しており、七識は通常これを制御できません。内臓の活動には身識を必要とせず、睡眠中も活動を続けます。そうでなければ人は死に至ります。身体の活動の多くは身識や意識が主宰できるものではなく、意根もこれを主宰できません。人の生老病死は意根が制御できるものではなく、ましてや意識ではなおさら不可能で、全て如来蔵が業種に依って行うものです。身体内部のいかなる機能作用を観察しても、もしそれが私たちの指揮・制御に従わないならば、それは如来蔵が単独で執持しているものです。血圧や体温も同様で、私たちの思い通りにはならず、禅定や神通力を有する者、あるいは意念力が強い者を除きます。

ただし七識の情緒や心理活動は色身の内臓運行に影響を与え変化させることができ、意根は如来蔵の色身に対する執持作用に影響・変化をもたらします。六識の活動は意根が主導し、如来蔵にも影響を与えます。七識が色身の内臓に及ぼす影響と調節は、如来蔵の執持方式・制御調節方式と大きく異なります。その違いとは何か。如来蔵も六・七識に従い、五識にも従うため、私たちの修行が意味を持つのです。そうでなければ全てが固定不変で修行は無意味となります。常に座禅を組めば色身の全てを変化させることができ、修行は主に六・七識において工夫を凝らすものです。六・七識が修まれば天地を覆すような変化が起こり、遂には仏と成るのです。

——生如法師の開示
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