意根は内識でもあり、外識でもある。勝義根の中の内相分と勝義根の外の外相分に対して、全てを了別することができる。第八識が本質境に依って顕現した法であれば、意根は第八識に依って全てを縁り、了別することが可能であり、五塵境も含まれる。一方、意識は内識のみで、勝義根の中の法塵しか縁することができず、他の塵境は縁することができない。神通力がある場合は例外である。
第八識が本質境を縁る時、本質境上の四大の微粒子を摂受し、直ちに本質境に似た塵境へと顕現させ、その後一連の伝導を経て勝義根の中へ内相分として伝わる。この過程では多数の媒体を経由する必要があり、五浮塵根に伝わるまでの部分は全て外塵・外境・外相分に属する。では外境には幾重もの相分が存在するのか。一つの媒体を通過するごとに一つの層の外境相分が形成され、その塵境相分は毎回変化する。媒体を経るごとに塵境相分は変化を重ね、通過する媒体が多ければ多いほど変化も増す。つまり外相分の重数は幾つか。媒体の重数だけ外相分の重数も存在する。
相分が五浮塵根に伝わった後、五浮塵根の伝導神経を経て勝義根内部へ伝達される。勝義根に到達する前の相分は依然として外相分、あるいは半外相分・半内相分の状態にあり、伝導媒体が五浮塵根となることで外塵が再び変化する。この過程において、意根は第八識が顕現させた全ての相分を一貫して縁り、了別し続ける。これは意根が伝導と変化を続ける外相分の塵境を了別できることを示しており、六識は未だ生起せず、了別もできない。では意根が了別する外相分は勝義根からどれほど離れているか。根から本質境までの距離と等しく、本質境に極めて近い。
一方、意識が了別する内相分は本質境から比較的遠く、五浮塵根からも一定の距離があるため、勝義根内の相分しか了別できず、勝義根以前の相分塵境については六識は全く知覚しない。六識の知る法は極めて狭く、意根の知る法は非常に多く広範にわたり、知覚する時間も意識より遥かに先行する。故に特殊な事態に遭遇した時、我々が思考する間もなく突然の反応と対応を示すのは、意根が先に了別して決定を下したためである。この時、意識が存在しなくても、意根単独でおおよその状況を了別し、事態が自身に与える影響を判断できる。もし重大な影響が予測されれば、意根は先んじて反応を示す。
反応を示した後、相分塵境は既に勝義根に伝達されており、六識が直ちに現れて意根の意向に従って塵境を処理する。その後、意識がようやく先程発生した事態を認識する。これが意根が先に外六塵を了別した結果である。意根が外相分を了別する際、恐らく全ての相分を完全に了別しており、外塵境が伝導する全過程を意根は把握している。故にその決定は既に完了しており、その後六識が現れて意根の決定に従い、極めて迅速な反応と対応を示すのである。
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