菩薩は現在修行している法、次に修行すべき法、さらにその先の修行法についても明らかにしている。その智慧は一劫、数劫、さらにはそれ以上の時間にわたるべき修行法を理解することができる。菩薩は智慧を有している以上、一切の法について明瞭でなければならず、すべての修行の道筋を明確に把握し、一歩一歩の実践方法を心に明記していなければならない。もし明らかでない場合は、それは愚痴であり、修行を通じてその愚痴を除去しなければならない。各菩薩は自らが現在どの修行段階にあり、どの法を成就し、どの法が未成就であるか、次にどの法を如何に修行すべきかを明確に認識している。これを明らかにしていない場合は愚痴であり、本来備えるべき智慧を具えていないことになる。
菩薩が修行を開始する際、歩みを進める際には、どの方向に向かって進むべきかを明確に認識している。曖昧なまま無作為に歩み出すことはなく、もし無作為に進めば邪道に迷い入ることさえ気付かぬ。このような曖昧な者は菩薩ではなく、菩薩となる資格を未だ有していない。特に弘法によって衆生を導く菩薩は、衆生をどこへ導くべきかを心中明々白々と把握しているのである。
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