問:どの程度修行すれば、世俗の色・声・香・味・触の中で寂静不動となり、少なくともそれほど苦悩しなくなるのでしょうか。
答:煩悩を断じた後、心は寂静となり、多くの煩悩や苦悩がなくなります。我見を断じ初禅定を得ると、貪欲と瞋恚が断たれます。さらに初果で我見・戒禁取見・疑見の三結を断ち、五下分結を断ずれば、人はある程度自在になりますが、四果ほどの自在さはありません。四果では我慢と我執を断じ、ほとんど重荷がなくなります。
寂静自在を得た菩薩を菩薩三果人とも呼び、禅宗の三関を突破すれば初地に入る資格を得ます。七地菩薩までは三果人であり、四果阿羅漢の果位を取らず、わずかに煩悩を残して三界に留まります。八地菩薩は全ての煩悩を断尽し、我執を完全に断ち、法執の大部分を除きます。
菩薩三果人が再び人間界に来る時、煩悩は極めて微細です。環境に染まる可能性はあっても、造る悪業も極めて軽微です。仏法を学んだ後は、懺悔すれば消滅するか、理を悟れば消滅します。根本煩悩心がないため、懺悔の必要もありません。三果・四果以上の聖者は、衆生と交わることを好まず、独居することが多く、衆生を度する時のみ共にいます。過去の大菩薩はまず独修で自らを完成させ、その後説法して衆生を救済しました。定力が不足し、明らかに慧が多く定が少ないと感じれば、再び独修して道業を進め、その後衆生の中に戻って説法します。このように自修と衆生救済を交互に行い、常に衆生と共にいることはありません。常に共にいれば定力が退失し、修行が衆生に引き戻され、道力が不足するからです。
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