衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年06月16日    火曜日     第3開示 合計2401開示

夢の中の意根

眠って夢を見ていないときには、第七識と第八識だけが存在し、前六識はありません。このときの第八識を証得できれば、牢関を過ぐることができ、生死を出離する能力を得られます。夢を見ているときや夢遊病のときには、第六識が存在しています。夢遊の境界がどのようなものであるかを知るには、明心して以後、甚深な唯識の智慧があってこそ可能であり、意根の法も証得できるときには、意根の働きも観察できるようになり、はじめて徐々に夢遊がどういうことなのかを整理することができるのです。

夢遊も夢も、いずれも意根と直接の関係があります。夢の中で歩くとき、意根は後脳をコントロールすることを通じて意識をコントロールし、身体全体をコントロールできるので、夢遊のときには手足も身体も動くことができるのです。子供の頃、よく夢の中でトイレを探して、その結果おねしょをしてしまったことがありますが、これもすべて意根のことです。意根が身体の中の状況を了別し、尿があることを知ると、尿意があればトイレに行って用を足そうと考え、そこで夢を見て、意識に解決させるのです。もし夢を見なければ、そのままベッドの上で解決してしまいます。

目が覚める前には、意根が法塵を了別しますが、まだはっきりしておらず、その後、意識がさらに了別することによって次第にはっきりし、私たちは目を覚ますのです。夢の中の意識は独頭意識であり、目が覚めたときの意識は五倶意識であって、了別する境界が異なるため、目が覚めたときの意識は、必ずしも夢の中の境界を知っているとは限りません。夢遊はこのような場合に属するのです。

——生如法師の開示
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