諸仏はまだ妄法を見るか?見る。しかし妄法と解せず、妄法として用いない。慈悲の大人の相をもって、衆生と共に遊戯し、泥に入り水に入って衆生のために尽くすが、心は蓮花のごとく純潔で妄りがない。如来蔵(tathāgatagarbha)は妄相を見るか?見ない。組合相を見ず、和合相を見ず、一合相を見ず、変異相を見ず、ただ原相のみを見る。原相に住して、衆生に一切の法を供養し、泥に入り水に入っても、一点の汚れも沾まず、高度に清浄(viśuddha/pariśuddha)である!
衆生はどちらの眼で山河大地を見ているのか?肉眼で見るのである。肉眼が瞎(つぶ)れている。肉眼はなぜ瞎れているのか?心眼が瞎れているから、ゆえに肉眼は必ず瞎れている。心眼はなぜ瞎れているのか?無始劫よりこのようであり、なぜということはなく、無明に因はない。無始劫以来、いくつの眼が瞎れてきたのか?眼・耳・鼻・舌・身・意・末那、全部で七つの眼、すべてが瞎れている。末那が瞎れれば、みなそれに従って瞎れ、明らかな眼は一つもない。
もう瞎子にはなりたくないなら、どうすればよいのか?どうすれば光明を見ることができるのか?瞎れた眼で悪業を造ってきたが、造り足りたか?瞎れた眼で悪報を受けてきたが、受け足りたか?もう足りた。既然足りたなら、この後は、諸悪莫作、衆善奉行!
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