衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年04月08日    水曜日     第2 回の開示 合計2254回の開示

六識論者は証果を成し得るのか

六識論者は五識と第六識のみを承認し、第七識と第八識を承認しない。本質上、これは断滅空論に属する。もし第七識を承認しないならば、自身の作主識としての第七識を観行することができず、また六根の一つとして的根性も理解できない。なぜ一つの法が根でありまた識であるのかを理解できないため、意根の存在を否定することになる。そうすれば十八界は一界欠け、我見を完全に断除することができず、证果は不可能となる。

南伝仏法は六識論である。仏が説いた阿含経には第七識と第八識が関わされており、衆生には自洲があり、法住があり、衆生依がある。これは第八識を指す。また六根の一つ、十八界の一つとして的意根も説いた。ただ南伝部落派の人々は阿含経に説かれた真實義を理解できず、六識のみ看懂できるため、六識のみを承認し、六識論者となる。もし輪廻的主体識を承認せず、否定するならば、谤法となり、进而谤佛となる。谤佛谤法之人は证果できない。

衆生一旦谤佛谤法すれば、三皈五戒も成就せず、比丘比丘尼戒も成就せず、菩薩戒更是成就せず。真正的菩薩は谤佛谤法之声を聞くとき、三百矛が心を刺す如く感じる。如何还能親口で大乗仏法と菩薩蔵を诽谤することができるでしょうか?故真正的菩薩は谤佛谤法之人或团体と共住共修することを愿意しない。何况その人々の法義を赞叹和宣传することもない。真菩薩はこれをしない。これを做す人は真菩薩とならない。真菩薩は三宝仏教を護持する努力をし、仏教全体の発展趋势と变动を关注し、自身と衆生の解脱能否得ることを关注し、個人の某种利益のみ在意しない。

——生如法師の開示
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