衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年02月29日    土曜日     第2開示 合計2173開示

一切法はみな如来蔵性であると如何に思惟するか

楞厳経の中で世尊は、五陰十八界はすべて如来蔵の性質であり、因縁性でもなく、自然性でもないと繰り返し説かれています。因縁性ではなく、自然性でもないということは、よくよく思惟してみれば理解できることです。しかし如来蔵性というものは、きわめて理解しがたいものであり、たとえ如来蔵を証得したとしても、観察するのは難しく、理解するのもそれほど容易ではありません。形もなく相もない四大の種子が、最も微小な微粒子を組み上げ、その微粒子がさらに集まって、少し大きめの微粒子を組み上げ、そして四大の種子が絶えず微粒子を組み上げ、微粒子が絶えず集まり合って、最終的に肉眼で見える物質の色法が形成されるのです。無から有へ、空の無形の種子から、有形の最も微小な微粒子へと、これ自体が実に不思議で、まるで魔術のようです。だからこそ、如来蔵は魔術師であると言われるのです。如来蔵が四大の種子を輸出していると言いますが、実のところ四大の種子は如来蔵の外に出てはおらず、組み上げられた微粒子も如来蔵の外に出てはおらず、形成された物質の色法も如来蔵の外に出てはいません。私たちの色身は如来蔵の中で生滅を繰り返しており、如来蔵の外に出たことはありません。如来蔵は無形無相ですから、色身は有形有相であるはずがありません。では、いったいどのような状態なのでしょうか。もし物質の色法に生があると言うなら、必ず如来蔵から離脱し、如来蔵の外に出て、単独の形相を持ち、四大の種子が如来蔵の外に出て、滅すれば四大の種子はまた如来蔵の中に戻るということになります。しかし四大の種子は無形ですから、どうして有形の物質を変現し出せるのでしょうか。どのように転換するのでしょうか。如来蔵の外で、物質はどのように存在し変化するのでしょうか。誰がその物質に依拠するのでしょうか。四大の種子が微粒子を組み上げ、微粒子が集まってより大きな微粒子を組み上げ、四大の種子が絶えず微粒子を組み上げ、微粒子が絶えず集まり合って、最後に色身が現れ、有形有相となります。しかし色身には生がなく、如来蔵の外に出てはおらず、四大の種子が如来蔵の外に出ていない以上、色身も如来蔵の外に出ることはできません。もし四大の種子が如来蔵を離れて微粒子を形成したとするなら、四大の種子は如来蔵を離れて、どのように機能や作用を持ち得るのでしょうか。誰がそれらに与えたのでしょうか。種子が如来蔵を離れて、どのように運作するのでしょうか。どのように無形から有形を変造し出すのでしょうか。色身が如来蔵の外に出たなら、どのように存在し変異するのでしょうか。誰がそれに依拠するのでしょうか。死亡のとき四大が分離し、種子が如来蔵の中に戻りますが、どのようにして戻るのでしょうか。もし如来蔵の外に出ているのなら、如来蔵の中に戻るということも言えません。もともとすべては如来蔵が自分自身で遊んでいるのであり、自分自身でゲームをしていて、自分自身への魔術を自分で見て、自ら楽しんでいるのです。識の種子が生まれ出て、識心を形成しますが、識の種子が如来蔵の外に出ていない以上、識心も如来蔵の外には出ません。如来蔵を離れて種子はなく、如来蔵を離れて識心はなく、識心の心所法はなく、受想行識もありません。もし受想行識が如来蔵の中で運作し、生滅し、乱れ生じ乱れ滅するのなら、色受想行識はすべて如来蔵の家内のことであり、幻化も家の外へは幻化せず、如来蔵が独り占めして、自ら楽しんでいるのです。一切の法はいずれも如来蔵の外に出ていないので、生がなく、また如来蔵の中に戻ることもないので、滅もありません。世間には何の現象もなく、世間もなく、何もなく、何も存在しないのであれば、一日中ぐっすり眠っていればよいでしょう。しかし、誰がぐっすり眠っているのでしょうか。如来蔵の中の規則や法則はあれほど神秘的で、不思議不可思議であり、それをはっきりさせないままでは、おそらく安眠もできないでしょう。

——生如法師の開示
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