衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年03月01日    日曜日     第1 回の開示 合計2174回の開示

五蘊の観行

五蘊十八界の空無我を観行するには、五根および五根に対応する五塵を観行するだけでなく、六識と意根、六七識に対応する法塵も観行する必要があります。実際、五塵に対しても意根は対応します。五塵が現れても意根が興味を持たなければ、五識が生じず五塵を了別せず、六識は五塵境と法尘境を知りません。六識の生じは意根が主宰し、目的は五塵と法塵を了別と処理するため、意根は法塵だけでなく五塵にも対応します。六識不在の場合、或いは六識が了別無力の場合、意根自身単独でこれらの法を観照と攀缘します。例えば身根の場合、意根は時時処処如来蔵の後に了知し、身体の全て情況を有時意識五識に知らせ、有時六識に知らせず。即使意识に知らせても、意识は莫名奇妙です。

五蘊の観行は主に識心の無我を観行する为主。五蘊の主体は識心,最も容易に我と錯认し、五根と六塵を我所と錯认します。我所の無我は較易认清,識心の我は最難看清。

識心も法の一種,如来蔵内で生生滅滅、刹那生滅。如来蔵の角度から見れば生滅無し、全て如来蔵性です。世俗法の角度から見れば、如来蔵以外、全て法は生滅し、現象不断変幻,有无互相对立。変化するのは識心の刹那生滅、識种子の輸出滅回、念念起伏不定,塵境も刹那変化し、四大种子の輸出滅回、色法の生滅变异。

禅定有の場合、五蘊十八界の法は逐渐独立出来,互相粘连的不那么紧密,独立起来易各个击破,粘连在一起較复杂,更真实に显れ,虚妄無我性看清難。禅定状态下,識心活動較慢微細,对法的执着性轻微,遮障小,事物の本来面目は識心面前暴露します。禅定の好处极多,真相澄清でき,識心了別性と認知性較客观公正有智慧,智慧開易,禅定不修太可惜です。佛語信,戒定慧具足,才是好佛子。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

一切法は如来蔵性であることをどのように思惟すべきか

次の記事 次の記事

『楞厳経』第三巻 意根と法塵の虚妄

ページのトップへ戻る