一切の法は幻化した実体のないものであり、我々が非常に真実と感じる法でさえも不実で幻化したものです。では座禅中に現れる幻覚はさらに幻化したもので、幻の上に幻が重なるのですから、何ら対処したり修正したりする必要はなく、無視すればよいのです。幻化した境界は自然に消え去り、幻覚もまた消滅します。昔、座禅で禅定に入った者が、刃物を持った人が自分を殺そうとするのを見て、その人を実体ある存在と錯覚し、自衛のためにその人を刺しました。禅定から出た後、自身の体に刀傷があり出血していることに気付き、偽りの現象に騙されたことを悟り、深く後悔したという話があります。また座禅中に境界を真実と受け止め、その境界に入り込んだ結果、魔境に陥った者もいます。座禅で禅定を修める際には正しい理念を持つべきで、定中にどんな境界や感覚が現れようとも、全ては幻化した真実ならざるものと観じ、一切関わらずにいれば安全無事であります。心静かな者は座禅中に境界が現れにくく、心に想いや執着があるからこそ境界が現れ、様々な幻化した覚受が生じるのです。普段から自らを訓練し、相に執着せず、境界に固着せず、心を空しくして念想を抱かずにいれば、座禅で速やかに禅定に入ることができ、境界も現れないでしょう。
3
+1